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2009年10月26日 (月)

神々の山嶺(いただき)

土曜日は大泉緑地で30km走がありました。小生は30km走はできないので、自宅から大泉緑地まで5kmのジョグ。その後アップのジョグで3km。あと15kmをジョグしてトータル23kmで終了する予定でしたが・・・・ 

10月24日のこの30km走に合わせるために、鈴木コーチはエエ顔(メールのやり取りですが)をしませんでしたが、10月4日・10月17日と40km走を立て続けにKは実施しました。(本来は17日が30km走で、24日を40km走にすべきところ)ほんで20km以後失速。残り5kmになり大失速しそうです。レース1ヶ月前に来て、ここでの大失速は今後の練習に大きな影響が出そうです。「自信喪失」につながります。

どうせ小生の足はすでに潰れているんやからと、意を決して小生が残り5kmを引っ張りました。そして何とか30kmを走りきりました 幸い小生の右側アキレス腱付着部炎の増悪はありませんでした おかげで28kmの距離を稼げました

その夜は、仕事上の仲間との打合会で、焼き肉を食べマッコリを飲みました~
091026_151301 25日は朝から体がだるく~ マッコリによる悪酔か、昨日の28km走によるのか?走るどころか、外出する気にもなりませんでした。読みかけの「神々の山嶺」を一気に読んじゃいました。書評はいろいろあるようですが、小生には面白かったです~。

<神々の山嶺より>
人は、生きてゆかなければならない。この自分も、あと何年か何十年かは知らないが、生きてゆかなければならないのだ。どうでもいい時間であろうが、どうでもよくない時間であろうが、死ぬまでのその時間は生きてゆかなければならない。どうせ生きてゆく。生きてゆくそのことはわかっている。そのことがわかっているのなら、死ぬまでのその時間は、何かで埋めなければならない。どうせ、何かでは、埋めることになる。 それがわかっているのならー
どうせその時間を埋めるのなら、たどりつけないかもしれない納得、何だかはわからないがあるかもしれない答え、踏めないかもしれない頂(ピーク)に向かって足を踏み出してゆくことを、そのようなもので埋めるのが自分のやり方だろう。
蒼い天の虚空に吹きさらしになっている点ー
この地上にただひとつしかない場所。
地の頂。
そこにこだわりたい。

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人は、色々な事情を抱えて生きているものだ。
そういう事情に、ひとつずつ、きっちり決着をつけながらでなければ次のことを始められないというなら、人は何も始めることはできないのだ。人は誰でも、様々な事情を否応なしにひきずりながら、前のことが終わらないまま、次のことに入ってゆくのだ。
そうすることによって、風化してゆくものは風化してゆく。風化しきれずに、化石のように、心の中にいつまでも転がっているものもある。そういうものを抱えていない人間などはいないのだ。

Photo 映画化で話題ですね。「なんで山に登るねん・なんでマラソン走るねん」にすんごく興味があるのですが、この本には、それ系の気にとめる文章があった記憶がありません。主人公の「走(かける)」が9区を走っている時の、「至高体験」が書かれていたのが唯一ですね。昨年の「Kの東京国際女子マラソン付記」にそれを書いています。きっとこの映画見に行かないだろうな。→「至高体験」をどう映画監督は表現するか? それを見に行くのは値打ちがあるか?

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コメント

映画と言えば昨日「沈まぬ太陽」を見てきました。
途中で10分間の休憩が入り、ほぼ3時間半かかりました。
なかなかよくできた映画でした。

Kから渡辺謙が舞台で号泣していたのを見たとは聞いておりました。

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